きょうは なんだか くさい
みな、人にみとめられたい、
みとめられて、自分の存在価値をよろこべる。
相手は認めてもらいたい、が、自分は既に認めている。
しかし、相手は
だが、なにか、日々成長を認めてほしいと、常に、どう私?となにかを言ってもらいたい。
常にほめてもらいたい。
誰もがそうだ。
成長を褒めることは、本当に感じたらで、毎回いうモノではない。
褒め合う友達、仲間、ほど信用ならない。
足を引っ張りあっていることに気づかない。
本当の仲間には本当のことをいいたい。
切磋琢磨。
しかし、これは
なかなかむずかしい。
切ったり磨いたりは
痛いから。
自分が
褒めてもらえなければ、褒められたい相手に文句を見つける。
相手の非を見つける。
きっと自分でも気づかないうちにそうなってしまう。
あいつは変わってしまったと。それを理由にする。
自分ではなく相手のせいにする。
僕はというと
僕は認められたいより、
見返してやりたい。
むかし、いじめてくれた奴らに。
それから、いじめられる原因をもつ自分を。
礼を言えるくらいになりたい。
ある意味では過去に囚われている。
今のあのひとじゃなくて、昔のあのとき、と、胸の中に残るもやもやしたモノにリベンジ。
ひきずっている。
過去をずるずる引きずる、そんなうじうじした、
自分自身を見返したい。
認められたいのは、
他のジャンルの人や、他国の人に。
コンテンポラリーダンスなんて知らない海でいつも寝そべっている人に。
山でいつも木を削っている人に。裸足であるいて虫を食べている人に。
そして、いうなら
ダンスに認められたい。
。
2011 02 27